どこからきて
どこからきたのだろうと思うものはたくさんある。
たとえば、大通りを歩いていて、近くには新芽の出始めたイチョウが街路樹として植えてあるばかりなのに、風花のように桜の花びらが舞ってきたとき。
散りこぼれ、また若葉となり、命に満ちて茂り、葉を落とし、冬を耐えてまた春に…。
それを幾十たびか幾百たび繰り返して、桜は古樹となり、その時を終える。
そんな花を幾十たびか見ただけで、人の身も古いものとなり、その時を終える。
時というものもまた、まったく、どこから来て、どこへいくのだろう。
どこから来て身に降りかかる花ひとひら 翠風
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