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2005.01.05

豊かさの指標

 一人一人の力はとてもささやかで、十数万の人々が被災している現実を見せつけられても、それを一気に改善することはできない。けれど、小さな力でも合わされば巨大なものになって、手をさしのべることができる。
 しかし、欲望を満たすための力も、個人個人では小さいのに、多くの人が欲望を満たそうとするとき、想像を絶する流れを作ってしまう。

 豊かさとは何だろう? お金があれば豊かだろうか? 確かに、ほとんどの豊かさはお金で買える。援助の基本もお金、そして、それで買うことのできる物資。

 物があふれることは本当に豊かなのか? 確かに不足しているときは、物がある方が豊かに見える。
 被災してほとんどすべてを失った状態の人にそれを問うなどするべきではないが、必要以上に物のある状態にある人であるならば、考えてみるべきではないのだろうか?

 多くの資源は有限。燃やせば二酸化炭素を消費したり、核廃棄物がでたり。少々使って、使い終わればすぐにゴミ。作りすぎたり飽きたりで築かれたゴミの山。リサイクルされているのは、ごくわずか。
 太陽光や風力などの利用されていない資源を活用しようなどというけれども、それも少々であればのこと。大量に使うことで、それまでのバランスが崩れて気象変化を引き起こす。山野を田んぼに作り変えたような、新たなバランス良い構築がなされるならいいのだが。

 のんびり生きていられる幸せをかみしめつつも、豊かさの指標について考えずにいられない。
 一人一人の力でも合わせれば大きな力になるのだから、考えて身近なことからはじめよう。足るを知ることを。

 とはいえ、単純ではない。求める気持ち、ハングリーさがなければ前進も発展もない。意欲も気力も希望もゼロに近づく。
 ただ豊かさを感受して生きるだけなら、なんと死に近しい生であろうか。

 どちらが、ではないのだ。まったく別の指標、次元の異なる価値観を自分なりに見つけださないと。
 こうなりたい、ああなりたい、これが欲しい、あれが欲しい。そのすべての否定ではなく、欲望へのフィルター掛けのようなものかな。

 無理だとあきらめるのとも違う。足るを知る。心の欲するところに従いて、矩(のり)をこえず。けだし東洋の至言。ビジネスマンに蔓延する生半可な成功哲学など遠く及ばない。

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