神々の出歩くとき
被害にあわれた方々には非常に申し訳ないのだけれど、相次ぐ大雨、土石流や堤防決壊といったニュースを聞くと、その、聞くときほど、これほど神々というものを思うときはない。
普段、人の力こそ最上とされて神々の力の(常識的には)排除された都会という隔絶された空間に住まっているので、そういった、ある種、“越えた”“普段、想像されなかった”事象というものが、神々の業を思わせるのだろうと思う。
おそらく数日なり、数十日を経れば、またあのおだやかで美しく包み込む日常というケがもどり、年に一度なり数年に一度なりのいわばハレともいえる荒ぶりは消えるだろう。ケとハレ。意識と無意識。表と裏。さまざまなからまり。その異なる面を垣間見ている、見させられている時にこそ、日本という場所の神々のあり方について、多くを思うのである。
神話的想像力といえばいいものか。詩人の思うところ? 何といわれようとも、思ってしまうのだから仕方がない。
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