大地震と聞くと
明け方、淡路で震度6弱の地震があり、大阪のほうにまで電車が止まるなどの被害があったと聞いて、とにかく、被害が小さくてすむようにと祈らずにいられない。
プレートの上の島々で、個々人がどんなに安全に気を使っても、地震が起きる可能性が、大きな単位では消せないことを、忘れたくても忘れられないし、忘れてはいけない。
そのときどうするかを考え、備え、それでも、備えきれはしないかもしれないけれど。
明け方、淡路で震度6弱の地震があり、大阪のほうにまで電車が止まるなどの被害があったと聞いて、とにかく、被害が小さくてすむようにと祈らずにいられない。
プレートの上の島々で、個々人がどんなに安全に気を使っても、地震が起きる可能性が、大きな単位では消せないことを、忘れたくても忘れられないし、忘れてはいけない。
そのときどうするかを考え、備え、それでも、備えきれはしないかもしれないけれど。
被害にあわれた方々には非常に申し訳ないのだけれど、相次ぐ大雨、土石流や堤防決壊といったニュースを聞くと、その、聞くときほど、これほど神々というものを思うときはない。
普段、人の力こそ最上とされて神々の力の(常識的には)排除された都会という隔絶された空間に住まっているので、そういった、ある種、“越えた”“普段、想像されなかった”事象というものが、神々の業を思わせるのだろうと思う。
おそらく数日なり、数十日を経れば、またあのおだやかで美しく包み込む日常というケがもどり、年に一度なり数年に一度なりのいわばハレともいえる荒ぶりは消えるだろう。ケとハレ。意識と無意識。表と裏。さまざまなからまり。その異なる面を垣間見ている、見させられている時にこそ、日本という場所の神々のあり方について、多くを思うのである。
神話的想像力といえばいいものか。詩人の思うところ? 何といわれようとも、思ってしまうのだから仕方がない。
雨続き。
手間はかかるようでも、個性的な個人商店でちょこっと買うのが好きだ。
日曜日休みなので、土曜日の夕方によく買い物をする。
近くの魚屋さんの魚はスーパーの十倍はおいしい。
ご用達のフランスパンも、ここと店を決めて買っている。
ささやかに暮らしているようでいて、気にいったものを愛用して、実はけっこう贅沢をしているのかもしれない。
チューリップの球根掘りや、草木の世話で、いそがしいといえばいそがしい日々。
望むように植えたものがそだたなくて、少々へこんでいる。
曇り続きだったせいだと天に責任転嫁できなくて、ちょっと。
心はどうして、空ばかり思うのだろう?
人はどこから来て、どこへ行くのか?
考えすぎると生きていくのが苦しくなる問いを、少女の頃からずっと問い続けている。
答えは未だに、得られない。
短絡でない答えで満たされる日は果たしてくるのだろうか?
月日はめぐるし、春の後には夏が来る。それは、必ず。なのにね。
4年目のデンドロビウムがずいぶんたくさん花をつけている。
チューリップも早いものが数輪。この雨でつらそうだけれど。
今年も何度かお花見にいった。
明るい桜、ほの暗い桜。にぎやかな桜、静かな桜。この一年一年の積み重ねが思い出になるのだろうな。
場所と人とのつながりを確認するように桜はあって、想い出の場所の桜は、見るとどうしても涙があふれてしまう。
花は、咲いて咲いて、終をむかえる。
咲いて、咲いて、チューリップ。もっと明るくしておくれ。
呪文のようにくりかえす。
ようやく、小さな梅が、一輪だけ咲いた。テレビでは満開のところもあるのに、クロッカスはまだつぼみさえつけていない。
日当たりが悪いので、なんでも遅い。
チューリップの芽が、ずらりとならびそろった。
カレンダーが3,4月に変わると、桜の写真になるものが多いので、今から楽しみになる。
寒くて、まだまだに思えても、春は、もうそこまで来ているはずなのだ。
今日は、ひなまつり。子供のいない家だけれど、ひなあられや、ちらし寿司を楽しんだ。
明けましておめでとうございます。
ゆるりとお正月を過ごして、そろそろ仕事はじめ。とはいえ、まだまだお正月気分。
でも、2006年のお正月は、すっかり晴れやかに迎えられたとは思えない。
雪などで大変なところもたくさんあって、無事を祈らずにいられない。
いつ何が起きるかはわからない。当たり前だけれど幸せな一年をみんなが過ごせますように。
そして気がかりなのは、社会のこと。このままだと、改革の名のもとに、弱者切り捨てばかりして、貧富の差の大きい、希望の持てない、治安の悪い、とんでもない社会になりかねない。
一部では小学校に通うにも補助を要する子供が4人に1人いる。一方では、巨大な開発費をかけてアメリカと兵器を共同開発? それがどちらも同じ日本の話だなんて。
効率は少々悪くてもいい。人間が人間らしく生きられる社会になるように、願わずにいられないけれど、改悪にしか見えないこの『改革』を選んでいるのは、日本人自身なので、いいようのない不安を感じる。
今年もボージョレー・ヌーボーを飲んだ。
3年連続でできがよかったとのことで、納得の香りと味を楽しめた。
新酒の祭り、豊穣の祭り。
ボージョレー・ヌーボーは、そういう意味をもって楽しんでいる。
均質になりがちな時間に、華やぎを与える祭りが、数多く印象深く訪れれば訪れるほど、より深く豊かに生きられると思うので。
雨でずいぶん、コスモスが散っていた。
今日こそは暖かかったけれど、寒さも本格化してくる。
コスモスは、あと少しだろうな。
それにしても、イチョウの色づくのが遅くなっている。
11月も上旬から中旬にうつろうというのに、まだ、まみどり。
都心の温暖化のせいなどともいわれているけれども、どうなっているやら。
そして、ふっと、平安のころを思ったりする。
千数百年前は、地球全体が、今より少し寒かったのだとか。
重ね着は、寒さのためでもあったのだろうな、などと。
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